sachi LOG

認定NPO法人D×P(ディーピー)で広報・マーケ・ファンドレイジングをやりつつ、オカン業もやっている入谷佐知の日々のログです。ブランド経営コンサルタントの師匠の元で修行したのち、現職。

安心安全の場と挑戦できる場があること

「ほいくえんにいきたいけど、いきたくない。」

 

ポツリと呟いた3歳のムスメの言葉に、

あー、それ、真実だなあと納得して

「そうだね。それって、すごくいいね」と返した。

 

ムスメは

「ま、いきたくないねんけどな。
きょうのおとうばんさんだれかなあ。
さえさんかなあ、ふふっ。」と返した。

 

言ってることが変わらなくて笑った。

 

外の世界(保育園)は、楽しくて、怖くて、わくわくして、辛い。

理不尽なことが起きれば、誇らしさを感じることもある。

彼女は楽しい思いもしんどい思いも両方して、家に帰ってくる。

家では、おおよそ自分のしたいことがまかりとおるので、

ゆったりと充電しているように見える。

 

大人でも、情報を絶って

自分の世界に閉じこもっていたい時があり、

自分の世界には飽き足らず

外の世界に無性に飛び出したくなる時もある。

 

いずれにせよ、安心安全の場があること、挑戦できる場があること、

両方の場があってこそ、その両立は成り立つのであり、

どこにも安心安全の場もなく、

どこにも挑戦できる場がないなら、生きるのがつらくなる。

 

私は、”しんどさ”を抱えた高校生をサポートする

NPO法人D×P(ディーピー)というところで働いているのだけれども、

D×Pの文化に、陰と陽を感じることがある。

一人も見逃さず、誰にとっても

安心できる場をつくろうとしながらも、

苦しみ伴う外の世界の空気を吸わせ、

おりゃっと背中を押すこともある。

あたたかさと厳しさの両方を感じる。

 

 

そして、どちらにおいても共通しているのは、

「否定しない (人を、人として尊重する) 」という価値観で、

それがすべてのプログラムやスタッフの言動に現れている。

閉じこもっていたいときも、外に向かいたいときも、

高校生のそばにいられる団体であるといいのかなと思う。

 

それには、もっと組織として、

成長していかなければならないけれど。

2014 March

ほんの少しだけあたたかくなった3月。

朝、うしろに娘を乗せて必死で自転車をこいで保育園に向かいながら、

3年前のいまごろは陣痛中だったなと思い返した。

 

その年の3月はまだ寒かった。寒いけど、空は晴れ渡っていて、

そして、形容しがたい痛みと、圧倒的な眠気の二つを

繰り返しながら、陣痛は進んでいた。

 

助産師さんから、お母さんが痛いんだから、

赤ちゃんも同じくらい痛いんだよ、と聞かされた。

 

お腹の中で、あなたは、必死でがんばっていたんだと思う。

 

保育園に娘を送って大急ぎで京阪電車に乗り込みながら、

3年前のこの時間は、陣痛で苦しむ私を見兼ねて

必死に腰をマッサージしてくれる夫の手を、

あろうことか振り払って「もう、やめてえ!」って言ったあたりの時間帯だな、

と思い返していた。(あとで、夫にあやまりました。笑)

 

夫、乙。

そして3年間の怒涛の日々、一緒に越えてくれてありがとう。

あの日、産む時から、一緒にいられてほんとによかったと今でも思ってます。

 

 

むすめさま。誕生日おめでとう。

産む前は、惜しみない愛情みたいなもんを贈るのは

父母のほうなんだろうなあと思ってたけど。

愛情という言葉も苦手だしあんまり信じていないんですが、

もし愛情というもんが存在するんだとしたら、

惜しみない愛をくれたのは、どっちかというと、

あなたのほうからだったと思ってます。

 

先に寝落ちしても、夜ご飯が適当でも、

疲労しすぎて遊んでる途中で爆睡しても、保育園の荷物忘れても、

変わらず「おかあさん、だいすき!」「おかあさん、めーっちゃ、すき!!」

母の悪行を許してくれる。

 

許す、ということを私はあなたから学びました。

 

きっとこれからあなたが成長して、

社会のなかの様々な価値観に触れ、父母を「一人の人間」だと知り、

「一人の人間」として許せなくなる時が来ると思います。

嫌になる時もあると思います。

そして、あなたが大人になって、

また、「一人の人間」として、私を許してくれるのかな。

許されなくても、いいと思うけどね。

 

 

子育ては綺麗事じゃない。(むしろ相当汚い。笑。) 

あなたの誕生日だからって容易に美化できるものじゃない。

壮絶たる日々を私は無視しない。

 

でも、それらを無視しなくても、私はあなたに会えてよかった。

あなたがいてくれてよかった。そのまんまのあなたが、私は大好きだ。

 

誕生日、おめでとう。

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2013年のレビューと、転職のこと・前職で学んだこと。

12/31ですね。

ちょっと年内に書いておきたかったことをつらつら書きます。

まとまりはありませんので要注意。

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(前職の皆様からいただいたプレゼントの数々)

 

私の2013年は、7月末にブランド戦略コンサルの仕事を卒業し、(というか、師匠・岡本佳美さまの元を離れて)9月からNPO法人D×P(ディーピー)の広報担当として働き出した年です。私が、転職した理由はたくさんあります。どの理由一つ欠けても成立しないので、これが一番の大きい理由!と言い切れず、「なぜアムを卒業したの?」「なぜD×Pに転職したの?」という質問に、どうも歯切れ悪く受け答えしていたように思います。(なので、詳しく知りたい方はじっくり聞いてやって下さい・・)

 

実は今年、私が最も悩んだのは、

「現場にいたい、昔のように現場にいる自分が一番しっくりくる」という自分と

「広報も、ブランド戦略も、めっちゃおもしろい!」という自分との、戦いでした(笑)

 

前者はいわゆる”支援者”的立ち位置。後者はどっちかっていうと、現場にいないバックオフィス的立ち位置。当然両方を受け持つハイブリッド型人財は、もちろんあり得ます。

ただし、どちらも非常に専門性が問われますし、何より子持ちの私には、仕事にかけられる時間自体が限られています。「いま20代の自分がどちらに舵を切るのか」はすごく悩みました。それは、2012年12月ごろから、5月ごろまで、妙に、悩みに悩んでいたような気がします。

 

でも、結局落ち着いたのは、

「広報も、ブランド戦略も、マーケティングも、全然自分には合わない仕事だと思っていたけれど、やってみたらすごく面白い仕事だった。この仕事を、もっとやってみたい。もっとやって価値を出したい。できれば、コンサルという立場じゃなくて、現場を持つ団体の中の人として、広報やブランド戦略をやってみたい。」

というところでした。

 

師匠にも「さっちんは、完全に"支援者"属性だよね」と言われ続けていたのでほんとに、いまだに、この選択をした自分自身が不思議です。(いまは完全に広報担当としてバリバリ動いているので、たぶん、D×Pの人たちはこの話をしたら驚くに違いない)

 

前職は、ええ、美化はできませんよ(笑)、やっぱりとてもつらかったです。レベル80くらいの師匠と、レベル15くらいの自分を比べては絶望する日々でした(笑)でも一方で、ブランド戦略の仕事の面白みも実感していました。特に、師匠のいる東京から離れて、京都で遠隔で仕事をしてから。一人でブランド戦略の仕事について、様々な人に説明する機会が増えて、よりブランド戦略の仕事の面白さを客観視し、実感するようになりました。

あー、この仕事って、なんて面白いんだろう。と。

 

自分のできなさ加減を思うと情けなくて苦しくて涙して吐くほどの日々だったけど、一方でものすごい面白みを感じていて、もっとこの仕事の本質を実現できる自分でありたいと思うようになりました。

 

そして、たまたま、同時期に、D×Pの共同代表の今井に出会い、朴に出会いました。彼らと何を話したのか今となっては覚えていないけれど、とにかく、組織に対する多大なる覚悟と、世界にもひけをとらないインパクトを出せる団体にしたいという想いだけは伝わってきました。そして、広報やブランド戦略の知見を求めていることもわかりました。彼らと出会うことで、「彼らといっしょに、チームで仕事をしてみたい」という気持ちが湧きました。

 

それ以外にも本当にたくさんの要因が積み重なって、ポンポンポン、と吸い寄せられるように、D×PにINすることになったような気がします。(ちなみに、これら選択のひとつひとつに、師匠は全て親身に相談に乗ってくれています。アムを卒業すると決まったあとも、D×P以外の様々な選択肢をホワイトボードに書きだしてくれ、「D×Pに行くのが一番いい選択かもね!」と一言・・・。)

 

 

そして。

 

D×Pで仕事をするようになって3ヶ月。師匠の壮絶なフィードバックなしで仕事をするのは、初めてです・・。若干緊張しつつも、面白いなあと思うのは、日々D×Pで仕事をするなかで

「これ、師匠だったら絶対こうするわ」

「これ、師匠に見せられない資料のクオリティだな」

と考えていること。

師匠視点がインストールされてる自分がもう一人いて、その自分が冷静に指摘してくれる。「魚の釣り方を教わる」とは、こういうことなのかなと思います。

 

師匠から、ちょっとやそっとじゃ崩れない大事なことを、仕事を通じて教えてもらったのだと思います。仕事への姿勢、起きた事象への解釈の仕方、徹底的な顧客視点と、クオリティの高さ。

"人を育てる"に答えはありません。

だからきっと、師匠も、私を育てながらたくさんたくさん悩んだと思います。私は、しかし、これから10年、20年と、この世界を泳いでいくための基礎となるものを、師匠から叩きこんでもらったと実感しています。改めて得難いものを受け取ったと痛感します。

 

最後に、私が前職での仕事を通じて学んだことの、まとめを下記に記します。誰かの何かの役に立てばいいな、と思いながら。※私が今年の夏に師匠にメールで送った「学んだこと」のまとめメールをコピペです。

 

 

▼そもそも、社会人として、一人の人間として。

※師匠の仕事の姿勢や言葉、実際に仕事をしながら学んだこと。

 

1)「目的はなにか?」を問い続ける。目的を見失わないこと。

 

2)「どうやったらできるか?」を問い続ける。(「できなかった」ではなく、目的を達成するためにどうしたらできるようになるか?を常に考え続ける。)

 

3)いまある困難は、今の自分だから与えられたもの。(「限界を感じたら、イノベーションのチャンス。」)

 

4)正直であること、ごまかさずに伝えること。そこに突破口はある。間違いを犯したら、その状況報告を過小評価しない。正直に、大切な人に伝える。

 

5)失敗は仕組み改善のチャンス、再発防止のための仕組みを考える。「なぜそれが起きたのか?」は、当人を責めるためではなく、未来のためにある。

 

6)「顧客にとってのベネフィットとはなにか?」を問い続ける。

 

7)働き方も、生き方も、実はいろんなオプションがある。目的に応じて、どんなふうにもなれる。端から見ると驚くべきオプションも、ほんとうは、実現できる。なんにでも、なれる!

 

 

マーケティング/ブランド戦略の現場で学んだこと。

1)「未来」を考えるために必要なのは、「過去」と、「現在」。

 

2)つまり、「未来」への答えは、顧客が既に持っている。

 

3)だから、徹底的に顧客が持つ情報を集める。

 

4)だから、徹底的に情報を集めるけれど、しかし、情報は、ただのTIPS。情報と情報を、つなげては外し、つなげては外しの繰り返しのなかでストーリーをつくっていく。データや数字であっても、ストーリーはある。数字の行間をみる。そのデータの裏には様々な意味があり、ストーリーがある。

 

5)クライアントに、近づいて、近づいて、近づきまくる!時にクライアント本人よりも、クライアントのことを知っている「他者」になる。

 

6)「言葉」を大切にする。キーワードを鵜呑みにしない、かっこいい言葉に流されない。それはどういう意味なのか、どういう意図で言っているのか。そこを洗い出していくと、その言葉を発した人の「価値観」が覗くときがある。

 

7)ブランド戦略は、アムのプロジェクトだけで完結しない。従業員ひとりひとり、ツールひとつひとつにまで浸透して初めて、ブランド戦略がうまくいったと言えるし、

というか、ずーっと、完結することはないのかもしれない。アムは、最初のブースト。ブランド戦略が徹底するまでの経営陣の揺るぎない意志を創出すること。

 

8)明確なブランドは、その会社で働く人を幸せにする。言動に不一致がおこらない

 

9)そして、その会社の「爪の先一本からにじみ出る価値観」に共感する人が、その会社のサービスを買っていく。それは単なるお客さんじゃなく、「ファン」の集まりだ。ファンは会社を大切にし、会社はファンを大切にする。

 

以上。

 

 2013年も、有難うございました。さっちんは、D×Pで楽しく仕事しています!みなさまと、いっしょに仕事ができたら嬉しいです。来年もどうぞよろしくお願い致します。

 

31,December,2013
Sachi IRITANI
通信制高校生へのキャリア教育を展開するNPO法人D×P(ディーピー)の広報・ファンドレイジング部長。在学中に、NPO法人フローレンスでインターンしたり、児童養護施設の子ども向けの塾講師をしたり、高校生向けの授業「仕事の学校」を運営させてもらったり。大学卒業後、ブランド戦略・広報戦略コンサルの会社で色々とイチから叩きこまれ、2013年9月から現職。最近、「広報番長」と呼ばれます。 しごとおもしろいです。 2011年出産/2012年京都へ/空手とヨガ

twitter: @sachiiritani
facebook: sachi.iritani

関わらないように、関わる(日常ログ)

娘1歳のときの私の子育てのテーマは、「疲れないこと」。

以前ブログにも(”疲れることは、大切なひとをめったうちにする可能性がある”と)書きましたがとにかく、疲れて動けなくなるということだけは絶対に避けるべき事項ととらえて、「疲れない」ということに責任を持つ、ということをたいせつにしてました。

 

やっと、「疲れないこと」ができるようになってきて、娘2歳のテーマが、このタイトル「関わらないように、関わる」でした。

 

これ、尊敬する諸先輩方から本をもらったり、勉強していくなかで、共通したメッセージがあることに気づきました。それは、「こどものやってることに、大人が手をだすな」ということ。

 

とりあえず、例にならってやってみることにします。私は何かをやってる娘になるべく声をかけません。娘は、集中しているとき、息が荒くなったり焦点がひとつを見つめていたりします。そのときは、もう絶対に声をかけません。

そして、集中の結果、パズルなど何かが出来上がっても、なるべく褒めないようにしています。目を見てうんうんと笑顔で頷いたり、「このへんのここを太く描いたんだね」とか事実をいうだけ。でも、私たちがきちんと見てたことがわかると、娘もニッコリ笑って、また何かをやり始めます。

 

そうしてると、次第に娘の集中する(息が荒くなっている)時間が長くなっていくような感じがします。不思議だなーと思います。

 

「すごいね!」って言うのは簡単だけど、「このへんのここが丁寧にできたね」と事実を述べるのは非常に難しいです。すぐめんどうくさくて「すごいね!」と言っちゃいます。まあ、言っちゃうもんはしょうがないし、適当にやってます。

 

昨日は、娘が歯を磨くのにあきて、歯ブラシで、ドアのホコリだらけのところをこすりはじめました。ええ、ホコリだらけにした私がわるいんです。娘はこするのに夢中で、息が荒くなってます。しかし歯ブラシは容赦なく汚くなります。たぶん次は使えません。 

私は結局、何も言わずに娘が満足するまで見ていました。
娘はクルッとこちらを振り向いてにこーっと笑い、「できたで」と一言。

 

真っ黒になった歯ブラシをみて、これでよかったのかなあ、と思いながら。集中させられたのはよかったけど、歯ブラシで掃除するということを覚えさせちゃったのか?うーん、わからないな、と思いながら。

 

一昨日は、今までできなかった、「ジッパーの最初のところをとめる」が出来るようになりました。何度も何度も挑戦して、試行錯誤していました。諦めませんでした。そして、最後にできたとき、私は思わず「わあ、すごいね!」と言ってしまいました。だって、出来なくてもまったく諦めなかった姿勢に、本当に感心したんだもの。。

 

しかし、声をかけたあと、娘がジッパーに集中してトリップ状態になっていたのから目が覚める用に、はっとこちらを向いたのが気になりました。あー、彼女自身が自分から「できた」と思う時間を、外から邪魔したんだなあーと思いながら。

 

そう、「褒める」ってそういうこと。何かをやりたいと思う時って、誰かが褒める褒めない関係なく自分の内から沸き起こるもの。「褒める」は、時に、暴力的に、それを阻むものであったりします。

 

私は、ムスメになるべく関わらないように、関わりたいと思っています。
関わらないけど、常に見ているようにしたいです。
そういえば、娘は「やって!」というのは少ないけど、「みて!」ということは多いです。たぶん、彼女の望みは、「みて!」ということなのだと思います。

 

(ちなみに、電車に乗るときなどは公共のマナーみたいなものをきちんと伝えます。でも、「公共のマナーが必要とされる時間」は、今の彼女の時間のなかで1・2割に留めたいと思っていて、実態としては、そもそもそういうことを言わなきゃいけないところに連れて行かないことが多いです。)

 

毎日あれやこれやと、試行錯誤です。といいつつ、まったく神経質にならずに適当にやれてるのは、「疲れないこと」ができるようになってきたおかげです。理解ある仕事先と、家事育児をいっしょに取り組んでくれる夫と、いつも笑顔で癒してくれる娘に感謝。

 

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最後に、色々と参考にさせていただいている書籍たち。基本的には、「本読むくらいなら、目の前の子どもを見ろ」というスタンスを大切にしていますが、とは言え大切に読ませてもらっている本たちです。

 

  

モンテッソーリの幼児教育 ママ,ひとりでするのを手伝ってね!

モンテッソーリの幼児教育 ママ,ひとりでするのを手伝ってね!

 

 

デチタ でチた できた!

デチタ でチた できた!

 

 

育育児典

育育児典

 

 

本当の意味で、オルタナティブな場とすること

以前、大津の中学生がいじめによると思われる自殺をしたという事件がありました。

それに寄せて、朝日新聞で、漫画家の西原理恵子さんの「いじめられている君へ」

という文章が掲載されました。

 

※話題になったメッセージなので既にお読みになられた方も多いと思いますが

未読の方はぜひ全文を読んでみて下さい。(以下は抜粋です)

 

学校は、いじめられてつらい思いをしてまで行くようなところじゃない。

長い夏休みだと思って、欠席してください。

そして、16歳まで生き延びてください。 

 

 高校生になれば、通信制(つうしんせい)高校やフリースクール

いわゆる大検(だいけん)など選択肢(せんたくし)が広がります。 

何よりもアルバイトができる。お金をもらいながら、

社会人にふさわしい訓練(くんれん)を受けられます。 

お金を稼(かせ)ぐということは自由を手に入れるということ。

その先に「ああ、生きててよかった」と思える社会が必ず待っています。

 

 

この言葉には、私は本当に心が動かされました。

そもそも16にならないと選択肢が広がらないということ自体が

間違っているという批判もあったようですが、

いま、まさに学校という場で苦しむ彼や彼女当人が、

「今日自殺しないことを決意できるメッセージ」が込められていました。

 

世の中は広い。

あなたを受け入れてくれる場は世の中に必ずあるよと、

そう伝えるものでした。

 

 

私は、この西原さんの言葉を、ホンモノにしたいなと強く思いました。

どういう意味かというと、事例としてトップに掲げている通信制高校では、

実際のところ、卒業生の2人に1人が「進路未決定」のまま卒業します。

進学先も就職先も決まらないまま卒業するということです。

定時制高校でも卒業生の3割が進路未決定者です。

一方、全日制高校卒業生の進路未決定者は全体の1割以下。

 

オルタナティブな選択肢として、通信制高校を選んでも、

その卒業生の半数が、どこにも所属が決まらないまま社会に落とされていく。

 

西原さんの言葉をホンモノにするとはどういうことか。

本当に、通信制高校、サポート校、定時制高校などから

卒業した人が活躍できるようにするということです。

 

変な言い方をすると、「一般的なメインルートから外れても、

社会で楽しく生きていくことはできる」ということを見せることです。

それをして初めて、「高校生になれば選択肢が広がる」と言い切ることができます。

メインルートから外れた先のオルタナティブな道筋(モデル)があるかないかで、

そのひとが人生に絶望するか否かも決まるのではないか、と思います。

 

私が西原さんの上記のメッセージを読んだのは、

実際に朝日新聞に掲載された2012年8月からかなり出遅れての2012年12月。

そして時を同じくして、NPO法人D×P(ディーピー)の存在を知り、

上記の通信制高校卒業生の半数が進路未決定のまま卒業するという事実を知りました。

その1ヶ月後の2013年2月、D×Pの共同代表の今井に出会いました。

それから約半年後、D×Pで働くようになりました。

 

『「ああ、生きててよかった」と思える社会が必ず待っています。』

そう言いきれる大人であり、そう言い切れる社会でありたい、と思う。

あのメッセージを読んで強く感じたその想いが、

いまだにゆらゆらと私の心に残っています。

 

私がD×PにINした理由のひとつは、西原さんでした、というお話。

(ちなみに、彼女の漫画『毎日かあさん』と『生きる悪知恵』はオススメ本です、はいw)

 

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)

生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)

 

 

よりぬき毎日かあさん

よりぬき毎日かあさん