高校生自身のなかに答えがあるから
オトナたちの「わたしはこうだったよ」
という話を聞きながら、高校生が自分で答えを探して行く。
最終的には、本人でしか本人の足を動かすことはできない。
まわりのオトナたちができることは少なく、
そして、まわりのオトナたちができることは大きい。
人と人とのかかわり合いって面白いなあと思いながら
D×Pの授業の報告レポートを読んでいます。
高校生の話を聴くひとりの大人として、
いつもどんな言葉をかえしたらいいのかとても悩みます。
「こんなこと言ったら傷つけちゃうかなぁ・・・」
「これは私の意見の押しつけになってしまわないだろうか・・・」
いろんな選択肢が頭のなかを駆け巡ります。
でも、不思議なことに、話を続けていくと、高校生自身のなかに「自分の答え」みたいなものがあるなぁと感じるこ とが少なくありません。
「大人が答えを用意してあげなきゃいけない」「コンポーザーだから、導いてあげなきゃいけない」なんてことはな く、
コンポーザーの「わたしはこう思うよ」という意見を聞きながら、高校生が自分で答えを探して行く。
・・・クレッシェンドでは、そんなようなことが沢山あるなぁ。と改めて感じました。
カウンセリングの領域としてはカール・ロジャーズの
「パーソン・センタード・アプローチ(クライアント中心療法)」的な
考え方だと言えるのかもしれないですが、
2013年にNPO法人D×Pに入って、D×Pのスタッフのみんなが
地でこれをやってるのを見たときは、すごく驚いたものでした。