安心安全の場と挑戦できる場があること
「ほいくえんにいきたいけど、いきたくない。」
ポツリと呟いた3歳のムスメの言葉に、
あー、それ、真実だなあと納得して
「そうだね。それって、すごくいいね」と返した。
ムスメは
「ま、いきたくないねんけどな。
きょうのおとうばんさんだれかなあ。
さえさんかなあ、ふふっ。」と返した。
言ってることが変わらなくて笑った。
外の世界(保育園)は、楽しくて、怖くて、わくわくして、辛い。
理不尽なことが起きれば、誇らしさを感じることもある。
彼女は楽しい思いもしんどい思いも両方して、家に帰ってくる。
家では、おおよそ自分のしたいことがまかりとおるので、
ゆったりと充電しているように見える。
大人でも、情報を絶って
自分の世界に閉じこもっていたい時があり、
自分の世界には飽き足らず
外の世界に無性に飛び出したくなる時もある。
いずれにせよ、安心安全の場があること、挑戦できる場があること、
両方の場があってこそ、その両立は成り立つのであり、
どこにも安心安全の場もなく、
どこにも挑戦できる場がないなら、生きるのがつらくなる。
私は、”しんどさ”を抱えた高校生をサポートする
NPO法人D×P(ディーピー)というところで働いているのだけれども、
D×Pの文化に、陰と陽を感じることがある。
一人も見逃さず、誰にとっても
安心できる場をつくろうとしながらも、
苦しみ伴う外の世界の空気を吸わせ、
おりゃっと背中を押すこともある。
あたたかさと厳しさの両方を感じる。
そして、どちらにおいても共通しているのは、
「否定しない (人を、人として尊重する) 」という価値観で、
それがすべてのプログラムやスタッフの言動に現れている。
閉じこもっていたいときも、外に向かいたいときも、
高校生のそばにいられる団体であるといいのかなと思う。
それには、もっと組織として、
成長していかなければならないけれど。